沖縄
ここは唯一沖縄で「ばっちぃ」とされる海であるが、よくここへ通ったものだった。
昼間にはこれよりもっと美しい浜辺は山ほどあるのだけれど、サンセットを見るのに、ここは快適だったし、何よりゲーセンがあったので、ドラムマニアなどで遊び、オリオンビールを呑みながら、ぼんやりと夕日が沈むのを眺めていた。青春時代ね。
何もかも早熟だった気がしないでもない。
性や薬や、セルフカッティングにしても。
ただ、夕日を見ていると、「あ!世界終わる!」とわくわくしたものだった。
どうして世界を終わらせたかったのか、今になってはわからないけれど。
いまは、世界を愛してる。
宇宙を愛してる。
そんな自分をときどき、憎んでみたりする。
砂浜につけた足跡は見る見るうちに消えていく。人生を考える。
からっぽ
観ました。
誰からも気づかれず、意識されない得も知れぬ孤独と戦う少年は、
誰かに意識されていないときだけテレポートが出来る。
そんなとき、ヒロイン、シーナのいる場所へテレポートするのだが
シーナは何やら恋人ともめている模様、少年がシーナを意識したからだろう、再び少年はシーナの前へテレポート、
そこから、少年とシーナの不思議な関係が始まっていく。というストーリーなのだけど、使用されている音楽にも不思議な魅力があって素晴らしい世界観を醸し出している味わい深い作品。
少年がテレポートした際に服を着ていないのだけれど、なんというか素直に美しい!妖精のようなのだ。
少年役は清水尚弥。すっかりファンになってしまった。
平愛梨の奔放でチャーミングな演技にもついつい惹きこまれてしまう。この映画を観た誰もが彼女に恋をするであろう。
少年はテレポートするたび、自分が意識されていないことにげんなりしている。
シーナに意識されるようになってからはテレポートを使用することが少なくなるのだが、二人の関係性もそう順調には続かなかった。
(ネタバレになるので内容は、はしょるよん)
切なくて、歯がゆくて、淡くて、つい、ほろりときてしまう、そんなからっぽのエンディングソングはたまの「電車かもしれない」
「ここに、いま、僕がいないこと、誰も、知らなくて、そっと教えてあげたくって、君を待っている」
映画とマッチし過ぎていてぞっとするほど泣いてしまった。
良作でございました。
ネコにのりたい
今週の一枚「乗りもの」
わたしは車だとジープがすき。
どんな高級車よりオンボロのジープがすきなの。
でも免許を持っていないから、わたしは小人になってネコをブイブイ言わせて、
一緒に虫を取ったり、猫じゃらしの生い茂る野原を駆け回ったりしたいな。
(って、趣旨ズレてますよね・・・。)
大型犬に乗って町中をパトロールするのもいいよね。
なんだか楽しそう。楽しそう!わくわく!ってしてるときが一番楽しいよね。
馬鹿みたいに笑い転げていられたら、空想に耽ってうっとりし
ていられたら、素敵だ~
アルゼンチンババアを観てからというもの、瓶詰めの蜂蜜を指ですくって舐めたくて仕方ないのですよ~。
心、穏やかにありたいときの一作ですね。
鈴木京香の演じるアルゼンチンババア(ユリ)のようなお婆さんになりたいわ。
蜂蜜を取って、マテ茶を煎れて、夜にはダンスを踊る。
ユリは自由で、孤独でありながらも凛としていて、美しい。
わたくし、しびこと幸詩乃が詩を連載しているWEB文芸誌窓辺が更新されました。
WEB文芸誌「窓辺」 | あなたの窓辺に素敵な物語をお届けします
よろしければ読んでみてくださいな★
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ビョーク
わたしがビョークの音楽に触れたのは中学生の頃だった。
もろに思春期で一番吸収しやすいときにビョークを聴いたときは衝撃だったし、今でも忘れられない。
Debudのhuman be heaver(いくら好きとはいえスペルのミスは仕方ないのよ、日本人だもん!)の和訳を読んだときに「地図もコンパスも使えやしない、それが人間の行動」という一節があったけれど、その詞に感銘を受けて、カーテンや壁にhuman be heaverの歌詞を全て書いた。
それからは、お小遣いも少ないというのに、ビョークのアルバムを一生懸命中古で探して集めたもんだった。
今でもビョークは世界一の歌姫だと思っている。
このメダラは全てアカペラで人間の声のみで曲が形成されているというのも面白いし聞き応えもある。ビョーク自身は「アカペラは嫌い」と語っていたけれど、メダラが完成したときは嬉しかった、というような記事をどこかで読んだ。
これは初めてのお給料で、新品で買ったのに借りパクされた悲しい思い出もあるCDなので早々に買いなおしたい。
*今日の一枚
『無題』
振り返る
今週の一枚「部屋」
なんだか疎遠になってしまった友人が撮ったわたし。
室内というかカフェーなんだけれど、沖縄県那覇市、国際通り沿いにある「ぶくぶく珈琲」にて。
お互いに写真を撮りあおうという話になったんだったなぁ。
結局、その友人は「ありがとう」と「ごめんなさい」がまったく言えない子でよくわたしお節介で注意してたんだけどうっとうしかったろうね。
「ひとが、去っていくことには、ワケもあって愛もあんだ。」ってハナレグミの歌詞にもあった。
なんだか今日はそんなことを思い出してた。
- アーティスト: ハナレグミ
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愛のむきだし
クリスチャンの家庭に生まれた男子高校生の本田悠(通称:ユウ、配役:西島隆弘)は、優しい神父の父テツ(渡部篤郎)と2人で幸せな生活を送っていた。幼くして亡くした母親の「いつかマリア様のような人を見つけなさい。」という言葉を忘れずに。
後に、父テツに愛人カオリ(渡辺真起子)ができ、聖職者でありながらもカオリに没落していく。しかしその愛人カオリも去り、ショックのためか父の性格は一変する。ユウはテツから毎日「懺悔」を強要されるが罪を何も思い出せず、父との繋がりを失いたくないがために、しまいに様々な罪作りに励んだ。その中で一つひとつ、父に許されることのないキリストの教えに反する罪があった。それは、女性の股間ばかりを狙う「盗撮」。
ユウはテツにヘンタイと殴られるが、これこそが愛だと感じる。そしてユウは盗撮の様々な技術を身につけるが、ついに父から懺悔を拒否されるに至った。父への執着心を愛と感じ取る感性が、ユウを盗撮のプロに仕上げていくが、それでもユウは全く性欲を感じなかった。
しかし転機が訪れた。ユウが探し続けていた「マリア」との出逢いがあった。その女性は、ユウの目の前で、不良少年たちの大群をカンフーで叩きのめしていた、女子高校生の尾沢洋子(通称:ヨーコ、配役:満島ひかり)。ユウはヨーコに、生まれて初めて恋に落ちた。さらにヨーコも、共に不良少年たちと戦ってくれた、女装していたユウ(通称:サソリ)に恋をした。
2人は初めて恋心を知ったのだった。ユウはヨーコを想うと勃起が止まらない。ヨーコもサソリを想えば胸が痛くなり、初めてオナニーを覚えた。
―wikipediaから引用
こう、ざっと内容だけを読んでみるととんでもないものだけれど、
劇中で満島ひかり演じるヨーコが聖書から抜粋して叫ぶ「愛は憎まず、怒らない」、
「最後に残るのは、愛」という台詞には、監督のアドリブではないにせよ圧巻される。
西島隆弘の演じるユウからのヨーコへの愛は実に高校生の初恋とは思えないほどのものがある。ネタバレしたくないので(ていうか観てほしいのよ!)はしょるけれど、
インチキ宗教に洗脳されてしまったヨーコと浜辺のバスで数週間生活するシーンがある。ヨーコの洗脳を解くためにと、ユウの友人たちがヨーコをムリヤリに監禁させたんだ。そこで食料と水、ローソクの灯りのみで生活するユウとヨーコ。
ヨーコはそりゃ洗脳されていて頭がこんがらがった(放心している)状態であるから食料や水を拒絶する(出来る)のは解せるんだけども、それに従い、ユウはヨーコが何か口に入れるまで飲まず、食わず、寝ずに、ヨーコを見守る。
ムリヤリに「目を覚ませ!」というシーンまで至るまでに、この、ただただユウが拘束されたヨーコに、「お腹空いた?」「寒いか?」などと優しく問いかけたり、ただ黙っていたりというシーンが淡々と続く。
二人とも殆ど、八割、んー・・九割、無言だ。台詞ナシなんだけど、
この映画をここで見限ってしまって、「もう飽きた」なんていうひととは、相容れないなぁ。。。
わたしはこのシーンが一番好きなのよ。
浜辺のバスの車内で二人きり、男女だというのに、おまけにユウはヨーコにしか欲情しないカラダになってしまっているのに、ヨーコは身動きひとつ取れやしないのに、ユウはヨーコを襲ったりだとか、んや、指一本触れやしない。
真冬だというのに露出度の高い服装のヨーコ、白いワンピースから白いパンティーがのぞいてる。
普通の男子高校生ならば、絶対に手を出すし、寝ている合間を狙ってオナニーでもするんでないか?
ユウは、違う。
わたしはそこで感動してボロボロ泣いていたのだけれど、元夫に「ここで?!」と驚かれる。
確かに女性から支持される映画ではあるとおもうけれど、カトリック系を齧っている男性の友人に聞いたところ宗教観なども美味く描写されていて面白いとのことだったよ。
まぁ、この映画に関して下世話なことは言いたくないけど、満島ひかりのパンチラがとにかく観放題。いやさ、確かにわかりやすく砕いていえば「パンチラ映画」っていわれちゃうかもしんないけど、これはラブコメだとか純愛の粋をまったく超越した映画だよ。
わたしは、もう7回くらい観てるんだけれども、何度観ても泣いちゃう。
ホロリとかじゃなくって、ゲラゲラ笑って観てたのにいきなりしんみりしてきて、じわっとくるんだけどまたゲラゲラ笑ってたら、いきなり号泣!みたいなね、ジェットコースターのような映画です。
あとね、ゆらゆら帝国好きなひとは絶対観たほうがよろしいですぞ。
「空洞です」の”空洞”もキーポイントになっている映画だから、絶対に「空洞です」を聴くたび、思い出すはず。
だから、「空洞です」はゆらゆら帝国の終わりだとは思ってない、永遠に語り継がれる物語の始まりだと思ってる。
それはこの映画を観て実感したことなの。